シルク・ヤマトヤ 1952年創業の銀座一号店から今日まで

当社の創業は、戦後の混乱が少し立ち直りかけた昭和27年(1952年)の3月。新しく完成したばかりの「日活国際会館」地下一階のショッピングアーケードに銀座一号店を出店。皇居のお堀を望む東京日比谷交差点の角に建築された地上13階、地下4階のこの建物は、四層の地下室を地上で作って沈めてゆくという工法で話題になっただけではなく、当時最高の高さを誇るビルという面でも、また帝国ホテルと並んで外国からの賓客を迎えられる近代ホテルとしても話題になりました。余談ですが、このビルは名前からわかる通り、映画会社「日活」の本社ビルでもあったのですが、邦画の衰退を受けて昭和45年、三菱地所の手に移り、オフィスビルの日比谷パークヒルに名を変えた後、2007年9月1日、ザ・ペニンシュラ東京という超高層ホテルとしてグランドオープンしています。

さて話を戻して、当時この日活店で当社が商っていたのは、メンズシャツのオーダーメイドでした。当時の価格で一着3,000円〜7,000円。大卒初任給が6,000円という頃ですから、超高級品という事になるわけで、当然顧客は七割方が外国のビップ。日本人の方では政財界の要人や、邦画のスターの方たちでした。ところで外国の男性はフェミニストですから買い物は奥様連れ。買い物に一緒に来られた奥様方が、シャツ地として並んでいるシルクのプリントや羽二重デシンを見て、自分のブラウスやドレス用に買っていかれることも多くなりました。

女性はお話が好き。口コミで評判が広がり、女性のお客様が増え、当社としてもシルク地を豊富に揃えるようになりました。婦人用の絹生地をメインに、メンズシャツオーダーはサイドにという営業展開になってきました。そして昭和32年(1957年)に銀座数寄屋橋に二号店をオープンすると共に、シルク主体の婦人服地の業態に転換。このタイミングが良かったのか売上げも好調で、すぐ隣の阪急百貨店からコーナー出店の声が掛かり、それ以降、大阪梅田の阪急本店を皮切りに次々と百貨店への中にコーナー展開する事になり、現在に至っております。